2007年08月22日

伊藤博文暗殺の知らせに、純宗皇帝は「伊藤公爵がいなくては韓国も終わりだ」と悲嘆 … 『大韓帝国皇室秘史』

■伊藤博文が死ぬと、高宗が歎息した?

1909年10月26日は、安重根義士が伊藤博文に銃弾を放った日だ。突然の伊藤博文の死。
当時、宮廷ではどんな反応を見せただろうか。

昌徳宮で15年間純宗皇帝の側近だった権藤四郎介の言葉によれば、「悲嘆にくれていた」
という。

これは、彼が直接仕えた純宗の言葉に端的に現われている。純宗は「伊藤公爵がいたから
韓国は存続できた。公爵を失った今、国運は既についえた」と言って嘆いた。

また高宗(訳注:純宗皇帝の父。ハーグ密使事件で1907年に退位)は思いがけぬ悲報に驚
き、伊藤のいない朝鮮の未来を心配した。以後行われた一連の措置はいずれも、伊藤博文
称えるためのものだった。日本天皇に自分の不徳を謝罪したり、王族だけに与える「文忠公」
という諡号を下賜したりしたのが、その例だ。

また、伊藤博文と親交が厚かった中枢院の金允植(キム・ユンシク)議長や、宮内大臣の閔丙ソク
(ミン・ビョンソク。「ソク」は夾の「人」を「百」に)子爵に多額の香典を持たせて東京に派遣し、礼を
尽くした事実も、同じ文脈で理解することができる。

この話は、『大韓帝国皇室秘史』(イマーゴ、2007年)に載っている内容だ。この本は、1907
年から1920年まで昌徳宮で勤務した権藤四郎介の回顧録(訳注:邦題は『李王宮秘史』。
大正15年刊)を中心に、大韓帝国皇室の「秘史」を編んだ。

しかし問題は、回顧録の著者が日本人だという点だ。これは、日本人官吏の偏向した視覚
がそのまま持っている可能性があることを意味する。

このため同書では、「歴史を正しく見る」というコーナーと、詳細な注や解説を追加した。歴史
歪曲を阻止するためだ。

上記の事件の場合、「歴史を正しく見る」に黄ヒョンの『梅泉野録』の内容を付け加えた。す
べての朝鮮人が伊藤博文の死を哀悼したのではないということを示すためだ。『梅泉野録』
に描かれた当時の一般的な姿は、「このニュース(安重根義士の義挙)がソウルに伝えられ
ると、人々は敢えて声を出して痛快がることは出来なかったが、誰もが噂しあい、それぞれ
家の奥で酒を酌み交わして祝った。」というものだった。

このように同書は、権藤四郎介の記録が必ずしも正しいとはしない。権藤の言葉が捏造さ
れた事実である余地を残している。同書は単なる回顧録ではなく、読者が均衡ある視覚を
維持するのを助けている。

日帝時代の宮廷の「秘話」を知りたい読者なら、一度読んでみるに値する本だ。しかし一つ
知っておくべき点がある。国史で一番悲痛な時期の「秘話」だ、という点だ。本に滲んでいる
悲しみの重さのため、興味本位で読み終えるのは容易でなさそうだ。

ヘラルド経済(韓国語)




























<#`Д´>認めたくないけど認めないといけないけど認めたくないニダ!!!




普通の人間

・「伊藤は奸物、安重根は英雄」と思い込んでた
・時の王様が「伊藤公が亡くなって韓国が終わりだ」と発言してる資料が発見される
・実は「伊藤は英雄で、安重根の方が奸物なのでは?」と疑う

韓国人

・「伊藤は奸物、安重根は英雄」と思い込んでた
・時の王様が「伊藤公が亡くなって韓国が終わりだ」と発言してる資料が発見される
・「王様は親日派だ」とレッテルを貼り自分の考えは変えずに済ます







 「伊藤公暗殺」に対するロシア人の論調

<思えば思うほど情けない限りである。最後の大戦争(日露戦争)以前に
伊藤公爵が言われたことを、もし、ロシアが聞いていたら、あの悲惨な戦争 も、ロシアの敗戦という不名誉もなかったのである。
伊藤公爵のハルピン来訪目的は、わが大蔵大臣との外交上の空しい儀礼的なものでなかったことは、 誰もが知っていた。
伊藤公は「ロシアは満州から去れ」などという、一点張りの主張をする人ではない。尊敬すべき老大偉人の逝去は、日本の損失ばかりで なく、
わがロシアの損失であり、韓国が大損失をこうむることは必至である。>

     東清鉄道長官 ホルワット少将 「ハルピン・ウェストニツク紙」


 「伊藤博文公暗殺」に対するドイツ人の論調

<韓国人が公を暗殺したことは、特に悲しむべきことである。何故かといえ
 ば、公は韓国人の最も良き友であった。日露戦争後、日本が強硬の態度を
以って韓国に臨むや、意外の反抗に逢った。陰謀や日本居留民の殺傷が相次いで
起こった。その時、武断派及び言論機関は、高圧手段に訴うべしと絶叫したが
公ひとり穏和方針を固持して動かなかった。当時、韓国の政治は、徹頭徹尾
腐敗していた。公は時宜に適し、かつ正しい改革によって、韓国人をして日本
統治下に在ることが却って幸福であることを悟らせようとし、六十歳を超えた
高齢で統監という多難の職を引き受けたのである。>

            ドイツ人 エルウィン・ベルツ博士 「伊藤公の追懐」


 「伊藤公暗殺」に対する韓国皇帝の論調

<伊藤を失ったことで、東洋の人傑がいなくなった。公はわが国に忠実正義
をもって望み、骨を長白山に埋めて、韓国の文明発達に尽くすと揚言してい
た。日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の
平和を念じた者はいない。実に伊藤はわが国の慈父である。その慈父に危害
を加える者があるとすれば、物事の理事を解さない流浪人であろう。>

                十月二十七日   太皇帝(高宗)

<伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。
その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない。>
                十月二十八日   太皇帝(高宗)


  「伊藤公暗殺」に対してのイギリス人の論調

<公を泰西の政治家と比較するに、公はビスマルクの如く武断派ではなく、
平和的であったことはむしろ、グラッドストーンに類するところである。
財政の知識が豊富であったことはビールにも比すべく、策略を行うに機敏
かつ大胆であったことは、ビーコンスフィールドに似ている。公はすべての
大政治家の特徴を抜粋して一身に集めた観がある。殊に公は驚くべき先見の
明を有し/要するに四十余年の永きにわたって終始一貫、国家の指導者たる
地位を占めたのは、実に千古の偉観というべきである。>

  「伊藤公の性格」ブリンクリー主筆 イギリス紙「ジャパーン・メール」



posted by クリケン at 17:06| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 朝鮮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。